練馬区土支田4丁目、白子川沿いの斜面地に広がる「稲荷山憩いの森」。



約2.24haの敷地は、練馬区内の「憩いの森」の中でも最大規模を誇り、西側のアカマツを中心とした雑木林と、東側のスギ・イチョウ・カシなどが織りなす森林が、訪れる者に深い安らぎを与えてくれます。


ここは単なる「緑地」にとどまらず、武蔵野の地形、かつての行楽地の歴史、そして地下に眠る戦時の記憶が重なり合う、非常に奥深い場所です。


キノコと湧水、武蔵野の豊かな生態系




白子川沿いの斜面地に残された樹林には、今も豊かな自然が息づいています。 子どもたちと一緒に歩けば、足元にはさまざまな種類のキノコが顔を出し、スマートフォンを片手に「これは毒があるかな?」と調べる楽しさも広がります。



周辺には湧水も見られ、隣接する清水山の森には「東京の名湧水57選」に選ばれた湧水池が存在します。湧水が育む豊かな生態系や、春に可憐な花を咲かせるカタクリなど、都市近郊とは思えない原風景がここには残されています。
「稲荷山」から「豊楽園」へ:受け継がれる歴史

この一帯が「稲荷山」と呼ばれるのは、古くから稲荷神社が鎮座していたためでした。 明治維新の際に神社が北野神社へ合祀された後、土地は一度官有林となりましたが、地域の人々の尽力によって官有林の払い下げが進み、昭和7年(1932年)にこの土地を取り戻したと伝えられています。


豊楽園の碑文などによると、人々はこの地に桜や楓を植え、再び稲荷神社を移し、行楽地として整備して「豊楽園(ほうらくえん)」と命名したとされます。現在の森にも、その小さな祠や「豊楽園」の石碑が静かにたたずみ、地域住民が守ってきた歴史の重みを伝えてくれます。
地下に眠る戦争遺構:大和田通信隊の土支田分遣隊


森をさらに深く進むと、無骨で古いコンクリートの構造物が姿を現します。地下に何が眠っているのか——。


この朝霞から和光、そして成増飛行場にかけての一帯は、かつて陸軍予科士官学校や白子陸軍病院など、多くの軍事施設が置かれた場所でした。なかでも特筆すべきは、旧日本海軍の通信施設「大和田通信隊」との関わりです。

本体の大和田通信隊は、海外などからの無線通信の受信・傍受や電波情報の収集を担った施設として知られ、真珠湾攻撃の成功を伝える「トラ・トラ・トラ」の受信や、終戦時のポツダム宣言の受信といった歴史的記録・伝承があります。

そして戦後の資料から、この大和田通信隊の「土支田分遣隊」がまさにこの稲荷山の地に置かれていたことが分かっています。練馬区の調査では、昭和20年9月作成の引渡目録に、
- 地下送信機室
- 地下発電機室
- 半地下兵舎 の3施設が記録されています。

近年のレーダー調査等でも地下の部屋の存在が確認されており(部屋1:約4m×15m、部屋2:約4m×25m、部屋3:約4m×4mなど)、コンクリート構造物も調査時点で概ね安定していることが分かっています。緑豊かな森の地下に、戦時中の通信施設としての確かな痕跡が眠っているのです。
大きな転換点――「稲荷山公園」構想と、いったん立ち止まった現在

この一帯を含め、練馬区では約10ha規模の都市計画公園「稲荷山公園」の整備計画が進められてきました。清水山の森や白子川沿いの斜面林、湧水群などを巻き込む大規模な計画であり、計画区域には民有地も含まれていることから、用地取得や土地所有者への対応などをめぐって地域からさまざまな意見が寄せられてきました。


そうした中、練馬区はこれまでの整備について「地域の理解が十分に得られていない」と判断し、計画については一旦立ち止まり、再検討するという方針を示しています。今後は、みどりの保全と地域課題の解決を両立させながら、公園整備のあり方や進め方を慎重に見直していくことになります。


稲荷山公園の整備計画ついては、地域の理解が十分に得られていないと判断し、いったん立ち止まり再検討します。今後は、みどりの保全と地域の課題の解決に向けて、ご意見を伺いながら公園整備のあり方や今後の進め方を検討していきます。
土地の記憶を見つめ直す

春のカタクリ、こんこんと湧き出る清らかな水、広葉樹の林を飛び交う昆虫たち。そして、「豊楽園」としての歴史や、地下に眠る戦争遺構としての痕跡。


稲荷山の森が持つ価値は、単に「草木が生い茂る場所」というだけではありません。この場所が歩んできた歴史、そして自然と人との営みの記憶を、どう未来へつないでいくのか。 一歩立ち止まった今だからこそ、この土地のもつ力をどう見つめ直していくのか、これからの動向をじっくりと見守っていきたいものです。




