2026年9月11日午後7時半すぎ、静かな秋の夜の公園に大きな衝撃音が響きました。

練馬区立武蔵関公園で、高さ約20メートル、幹の直径約1.3メートル(株立ち)にも及ぶ大木のコナラが根元から倒れたのです。

幸いにもけが人は出ませんでしたが、倒れたのは園内のトイレや広場付近。一歩間違えれば大惨事になりかねない事故でした。
事故から2日後の9月13日早朝、武蔵関公園の現場へと向かいました。
現場で見た痛々しい痕跡と、予想外の「健康さ」


現地に着くと、倒れた樹木はすでに切断・撤去され、閉鎖されていた広場は解放されていました。迅速な対応が行われた様子が伺えます。

しかし、かつて木が立っていた根元に目をやると、土が大きくえぐられ、痛々しい爪痕が残っていました。


驚いたのは、倒れた木の断面や周辺の状況です。

幹に大きな空洞が見られるわけでもなく、腐食してボロボロになっているようにも見えません。むしろ、切断面からは健康な広葉樹特有の力強く良い香りが漂っていました。


太い根が「ブチッ」と途中でちぎれたように切れています。詳細な原因は調査中ですが、背が高く風の影響を受けやすかったこと、また、土の浅い部分にしか根が張っていなかった(浅根化していた)可能性等が感じられます。

この木が立っていたのは、トイレの建物と別の巨木に挟まれた極めて狭いスペースでした。周辺の環境が根の広がりを制限していたのかもしれません。


定期的な点検(練馬区によると半年に1回程度)をすり抜けてなぜ倒れてしまったのか――。現在調査を行っているとのことです。

武蔵関公園の歩み――湧水池から区立公園へ


武蔵関公園は、練馬区立公園としては2番目の広さを誇り、武蔵野の面影を色濃く残す歴史ある公園です。

その歴史は古く、公園の中心にある「富士見池」は、もともと武蔵野台地から湧き出る地下水によってできた「関の溜井(せきのためい)」がルーツです。江戸時代には農業用水や湧水地として重宝されていました。

- 大正時代: 住民の手により遊具やボート場が整備され「若宮遊園」として愛される。
- 1938年(昭和13年)10月: 東京市(当時)へ寄贈され「東京市立武蔵関公園」が開園。
- 1975年(昭和50年)4月: 東京都から練馬区へ移管され、「練馬区立武蔵関公園」となる。

かつては自然湧水のみで維持されていた富士見池ですが、都市化に伴い湧水量が減少。現在は、石神井川の洪水を防ぐための調節池としての重要な防災機能も兼ね備えています。

武蔵野の「雑木林」と樹木の高齢化


武蔵関公園の魅力を形作っているのが、クヌギやコナラを含むとした鬱蒼とした広葉樹の森です。住宅地との境目に立つ遊歩道沿いには、見上げるような巨木がずらりと並んでいます。


かつて武蔵野の雑木林では、薪や炭として利用するため、20年程度の周期で伐採と更新(萌芽更新)が繰り返されていました。しかし、燃料革命が起きた昭和30年代以降は伐採される機会が減り、中には樹齢60年を超えるような大木も見受けられるようになっています。



見上げれば豊かな緑を提供してくれる木々ですが、幹に痛みが見られたり、キノコが生えて腐蝕が進んでいるものもあります。
「都立・石神井公園」との違いと、自治体管理の難しさ



武蔵関公園からほど近い場所には、同じく武蔵野台地の湧水池(三宝寺池・石神井池)を擁する「都立石神井公園」があります。


両者は「湧水と豊かな樹林を生かした公園」という共通点があり、生えているどんぐりの木(コナラ・クヌギ)などの樹種もよく似ています。

しかし、現地を歩いてみると雰囲気が少し異なります。

石神井公園は木々が一定の間隔を保って計画的に配置・管理されており、どこか洗練された明るい印象を受けます。一方の武蔵関公園は、昔ながらの自然な「鬱蒼とした武蔵野の森」の雰囲気を強く残しています。

もともと東京市立・都立公園としてスタートし、1975年に区へ移管された武蔵関公園。

広大な敷地と無数の巨木を擁し、さらには調節池としての防災機能も維持・管理していく中で、外観上の点検だけでは防ぎきれない樹木リスクにどう向き合っていくのか――今回の事故は、都市部における大木の維持管理や安全対策の難しさを改めて考えるきっかけを示しているのかもしれません。
終わりに――都市と樹木が共生するために

枯れ木でもなく、一見すると健康的な大木が、突然根元から倒れる――。
今回の武蔵関公園の事故は、樹木管理の限界と難しさを改めて突きつけました。

武蔵野の自然や歴史的景観を守りたいという思いと、近隣住民の安全確保という命題。

武蔵野の森の面影を残す貴重な木々を眺めながら、私たちはこれからどのように都市の樹木と付き合っていくべきなのか、考えさせられる朝となりました。




