【街道散策】志村坂上の「練馬江一里」はどこへ続く?石碑の刻字を辿る「ふじ大山道」歩き

先日、練馬春日町にある老舗パン屋さん(コムラパン)で昔話を伺う機会がありました。

「環八ができる前、お店の前は富士街道から豊島園へと向かう主要な道で、もっと人通りが多かったんだよ」

新しい幹線道路の整備や駅の開業によって、街の景色や人の流れは移り変わっていきます。

しかし、ふと足元や道端に目を向けると、江戸時代から続く信仰の道「ふじ大山道(現在の富士街道につながる古道)」の面影が、いまも石碑という形で静かに残されています。

今回は、志村坂上から北町、そして石神井・田無方面へと続く石碑の刻字を一本の糸で繋ぎながら、昔の旅人が歩いたルートを追跡した散策記をお届けします。

1. 旅の起点:志村坂上に刻まれた「練馬江一里」の謎

旅のスタートは、都営三田線・志村坂上駅近くの交差点(板橋区志村2丁目)。

旧中山道からの分岐点にあたるこの場所には、江戸時代の貴重な石造物が残されています。

志村坂上 富士大山道道標・庚申塔(板橋区志村2-7)

ここには寛政4年(1792)の道標と、万延元年(1860)の庚申塔が並んで立っています。万延元年の庚申塔の側面に刻まれているのは、次の文字です。

「是ヨリ富士山大山道 練馬江一里 柳沢江一里 府中江七里」

ここでいう「練馬」とは、現在の練馬駅周辺ではなく、かつての川越街道「下練馬宿」(現在の練馬区北町付近)方面を指すと考えられます。

はたして「一里(約4km)」先の練馬まで、どのように道が続いていたのでしょうか。石碑の案内を頼りに進みます。

2. 中台から徳丸へ:お地蔵様と庚申塔が示す「練馬道」

ここから商店街を抜け、志村城址の歴史を秘めた熊野神社へ。

この日は熊野神社の例大祭。坂上も坂下も威勢の良い掛け声が響いていました。

城山熊野神社は、長久3年(1042年)に志村将監が紀州熊野神社の分霊を勧請したと伝えられています。2042年には、伝承上の勧請から1000年を迎えます。

城山通りを下って首都高速をくぐると「志村第二公園」へ。

柵に閉じ込めなくてもいいのにと思ってしまいました💦

「ふじ大山道(大山街道志村道)」のルート周辺から集められた、道標(みちしるべ)を兼ねた複数の古い石碑(庚申塔や石橋供養塔)が並んで保存されています。

庚申塔には、大山(神奈川県)へ向かう信仰の道「大山道」の案内が刻まれており、「向左 ねりま より 大山道」といった文字が確認できます。

中台中学校
建設中の大型マンション

ここから坂を上り、中台中学校や建設中の大型マンションを脇目に、中台の住宅街を進みます。

中台の地蔵堂跡(中台1丁目)

天明4年(1784年)に造立された丸彫りの地蔵菩薩立像で、臼をひっくり返して被せたような独特な笠を載せていることから「笠懸(かさがけ)地蔵」とも呼ばれています。

天明4年(1784)建立のお地蔵様の台座には、当時の分岐を示す明確な文字が刻まれています。

その隣には、寛政12年(1800年)の馬頭観音と、嘉永5年(1852年)の庚申塔が並びます。馬頭観音には「大山道」「江戸道」、庚申塔には「西 ふじ大山 練馬道」「南 いたばし 前野道」といった道案内が刻まれています。

これらの石造物は、中台が志村方面から練馬・大山方面へ向かう「ふじ大山道」の道筋にあったことを伝える貴重な道しるべです。

かみなか庚申塔(若木1丁目付近)

さらに暗闇坂を越え、現在「富士見街道」と呼ばれる道路の近くを進むと、享和4年(1804)建立の「かみなか庚申塔」が現れます。

「左 ねりま 大山みち」「右 にしたい とくまる」と刻まれています。道を左に進みます。

中台と西台は隣接する地域で、現在の町名になる以前から、この一帯には「中台」「西台」という地名がありました。古くから道で結ばれてきた地域でもあります。

東武東上線を斜めに横切る旧道。多くの道は線路に垂直に通っていますが、もともとは旧道があり、その後に東武東上線ができたため、斜めなのですね。

志村坂上から始まって「練馬道」「ねりま 大山みち」と、石碑がバトンをつなぐように下練馬宿へのルートを指示してくれます。東武東上線の線路を渡ると街道沿いに馬頭観音があり、かつて多くの旅人や馬が行き交った時代の名残を感じさせます。

3. 下練馬宿(北町):「これより大山道」の決定的な道標

旧川越街道へ合流し、北町商店街を通り抜けて環八通りと交差する地点へ出ると、目的地の目印となる非常に重要な文化財に到達します。

下練馬の大山道道標(練馬区北町1-25)

宝暦3年(1753)に建てられたこの道標には、下練馬側から見た案内が明確に刻まれています。

  • 正面:「従是大山道(これより大山道)」
  • 左側面:「ふじ山道 田なしへ三里 府中江五里」

志村坂上で「練馬へ一里」と案内された旅人は、ここで「田無へ三里」という言葉を頼りに富士・大山を目指したのです(※現在の道標は環八の整備工事に伴い、元あった場所から約8m西側へ移設されています)。

4. 環八通りから春日町へ:都市開発と変わる人の流れ

田柄川にかつてかかっていた棚橋を冠した棚橋歩道橋を横目にまっすぐ環八沿いを進みます。

北町から平和台付近にかけての富士大山道の一部は、現在の環八通りとして整備されています。

ドン・キホーテや陸上自衛隊練馬駐屯地前を通り、練馬春日町方面へ。

練馬春日町駅近くの交差点手前で環八を離れて右手の旧道に入ると、風情ある愛染院(春日町4-16)の山門前に出ます。参道には練馬大根の功績を伝える「練馬大根碑」とともに、「ふじ大山道」を示す文化財説明板が立っています。

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冒頭のパン屋さんで伺った通り、かつてここは富士街道と豊島園方向を結ぶ交通の要衝でした。地下鉄大江戸線の開通やタワーマンションの建設、環八の開通によって人の流れは大きく変化しましたが、旧道沿いには今も街道の静かな情緒が残っています。

5. 谷原から石神井公園、そして西東京・田無へ

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練馬高野台・高松の住宅街を進むと「宮原公園」に到着します。園内の案内板には、かつてこの道がクヌギ並木であり、江戸中頃から富士・大山・御岳信仰の参詣者で賑わった歴史が解説されています。

谷原延命地蔵(谷原1-17)

やがて橋戸道との分岐点に立つお地蔵様へ。

「みぎ はしど道 / 左 たなし道 大山道 二里」

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指示に従って左へ進み、谷原交差点を渡って石神井公園方面へと真っ直ぐ伸びる道を進みます。

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西武池袋線の高架をくぐった石神井公園駅周辺(石神井町7丁目・3丁目)にも「子育て地蔵」をはじめ「大山街道」「ふじ大山道」の文化財説明板が残されており、この道が間違いなく参詣道であったことを裏付けています。

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さらに進むと、ロイヤルホスト前にある「けやき憩いの森(石神井台8-21)」の立派な屋敷森が現れ、その足元にも「ふじ大山道」の説明板が設置されています。

石碑が教えてくれる、現代に生きる歴史の脈動

今回歩いた石碑の刻字を並べてみると、その繋がりは驚くほど明瞭です。

  • 志村坂上:「練馬江一里」
  • 中台:「右 練馬道」
  • 若木(かみなか):「左 ねりま 大山みち」
  • 北町(下練馬宿):「従是大山道 / ふじ山道 田なしへ三里」
  • 谷原:「左 たなし道 大山道 二里」

志村坂上から始まり、石神井を抜けて西東京市(田無)へと続くこの道。

時代の変化とともに「城山通り」「環八通り」「富士街道」と名称や姿を変えてきましたが、道端に佇む石碑や地蔵尊、そして屋敷森の巨木は、かつてこの道を歩いた旅人たちの足音を今も私たちに伝えてくれています。

街歩きの際は、ぜひ足元の石碑に刻まれた一文字一文字に注目してみてください。何気ない日常の風景の中に、江戸時代から続くドラマチックな街道の歴史が浮かび上がってきます。

この記事を書いた人

なりチャン

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