練馬区土支田(どしだ)の地に深く根を張り、地域とともに歩んできた「豊溪(ほうけい)小学校」と「豊渓(ほうけい)中学校」。同じ「ほうけい」の名を冠する二つの学校ですが、いま大きな転換期を迎えています。

1876年(明治9年)の創立から150周年の節目を迎え、新たな時代に向けて校舎改築が進む豊溪小学校。一方で、近隣の中学校との統合・再編に伴い、2029年4月をもって現在の校舎での学校生活を終える計画が進む豊渓中学校。

白子川の恵み豊かなこの地で、二つの学校が紡いできた歴史と、それぞれの歩む道についてお伝えします。
練馬区で2番目に古い!歴史を繋ぐ「豊溪小学校」の歩みと校名の由来
豊溪小学校は、「練馬区で2番目に歴史のある小学校」として知られています。

沿革によると、ルーツは江戸時代末期に開設された私塾(加藤政八塾)にさかのぼります。明治7年(1874年)に練馬初の公立学校「豊島学校」(現・石神井小学校)の第一分校となり、明治9年(1876年)に「第三中学区第二十番公立小学豊溪学校」として独立開校しました。

その後、地域の発展に伴い児童数が増加。「旭町小学校(昭和32年独立)」、「八坂小学校(昭和46年)」、「北原小学校(昭和54年)」、「光が丘第一小学校(昭和58年)」 など、多くの学校を分校・分離させていった“母なる学校”でもあります。
「豊溪」という美しい校名の由来
漢字の「豊溪」という校名には、地域の自然と歴史が込められています。
沿革誌によると、当時の校地があった上練馬村俵久保の北側には、武蔵野台地を削って東西に走る白子川の渓谷がありました。そこから「溪」の一字を採り、当時所属していた「北豊島郡」の「豊」を組み合わせて「豊溪」と名付けられたと伝えられています。
廃校の危機を救ったのは「地域住民の熱意」だった

豊溪小学校の140年以上の歴史の中で、象徴的なエピソードとして語り継がれているのが「村費削減による統合の危機」です。
明治31年(1898年)と大正7年(1918年)、当時の行政から「練馬小学校との統合」案が出されました。
しかし、地元の学校を存続させたい地域の人々は立ち上がります。多くの寄付金を集め、学校存続のために熱心に働きかけたのです。その並々ならぬ情熱に心を動かされた上練馬村は、統合案を取りやめました。
豊溪小学校は単に「古い学校」というだけでなく、「地域の愛と熱意によって守られ抜いてきた学校」なのです。
創立150周年を迎え、改築工事が進む豊溪小学校

地域に愛され続けてきた豊溪小学校(練馬区土支田2-26-28)は、創立150周年を迎えた現在、校舎等の改築工事が進められています。

- 工事期間: 2026年4月〜2030年2月予定(外構整備まで含む)
- 新校舎の概要: 鉄筋コンクリート造3階建て(延床面積 約6,054㎡)
- 整備対象: 新校舎、屋内運動場、プール、体育倉庫、駐輪場など

工事期間中は校庭に仮設校舎を設置し、段階的に解体・建設を進める計画となっており、児童たちの安全な学校生活に配慮しながら整備が進められます。長年受け継がれてきた伝統を守りながら、安全で快適な学習環境へと生まれ変わろうとしています。
豊渓中学校は2029年4月に統合・再編へ

豊溪小学校が新たな校舎への改築を進める一方で、隣接する旭町エリアにある「豊渓中学校」(練馬区旭町3-5-10)は、大きな再編の時期を迎えています。

練馬区の方針(第二次実施計画)により、豊渓中学校は光が丘第一中学校と統合・再編されることが決定しています。
- 統合時期:2029年4月(令和11年4月)
- 統合後の位置: 現在の「光が丘第一中学校」の校舎を使用

2026年9月3日の区長所信表明においても、「令和11年4月の統合に向けて取り組む」ことが改めて示されました。地域からは計画の見直しを求める意見や陳情なども寄せられてきましたが、公表されたスケジュールに沿って準備が進められています。
2029年4月の統合・再編により、豊渓中学校は現在の旭町の校舎での学校生活を終えることになります。 統合後の施設の具体的な活用方法などについては、今後地域や子どもたちとの対話を通じた検討が予定されています。
かつては豊溪小学校から豊溪中学校へ進学する時代もありましたが、現在は通学区域が変わり、豊溪小学校は八坂中学校との小中連携グループとなっています。
まとめ:二つの「ほうけい」が紡ぐ、地域の記憶と未来

明治の開設期、地域の人々が身銭を切って守り抜いた歴史を持つ「豊溪」。
創立150周年を迎え、改築工事とともに次の時代へ歩みを進める豊溪小学校。
地域の歴史と子どもたちの学びを刻みながら、2029年4月の統合・再編へと向かう豊渓中学校。
小学校は旧字体の「溪」、中学校は新字体の「渓」という漢字の表記を含め、それぞれ異なる道を歩むこととなりましたが、白子川の流れとともに土支田・旭町の地で育まれた地域の絆と記憶は、これからもこの街に深く刻まれ続けていきます。







