2026年10月。志村坂上エリアで長らく進められていたTOPPAN(旧・凸版印刷)板橋工場の解体工事と遺跡の発掘調査がひと段落を迎え、工事用の看板が外されてすっかり綺麗な整地が完了しました。


見次公園から坂を上がった高台に位置するこの広大な土地。水や日当たりに恵まれた高台であることから、「古代の人々もここで暮らしを営んでいたのだろうか」と、発掘作業の様子を眺めながら歴史の浪漫に思いを馳せていた方も多いのではないでしょうか。

かつて街のシンボルとして存在感を放っていた立派な建物が姿を消し、ついに広い更地となったこの場所。果たして、今後はどのような施設が誕生するのでしょうか?
噂される「板橋中央総合病院」の移転先説


地域の噂としてよく耳にするのが「板橋中央総合病院(板中)がここへ移転してくるのではないか」という話です。


しかし、病院側のインタビューや発表によると、板橋中央総合病院の新病院(2030年移転予定)は「現在地から歩いてすぐの場所」に計画されています。(詳細は病院の発表を待つ必要がありますが)凸版印刷跡地までは徒歩10分以上かかるため、病院のメインの移転先としてこの広大な敷地全体が使われる可能性は低いと考えられます。

では、この一等地に一体何ができるのか、地域住民の関心は高まるばかりです。
区と住民の間でも跡地の開発が話題に




2025年8月6日に開催された「志村坂上地区区民と区長との懇談会」では、志村町会から、TOPPANとトーハツの敷地の今後の開発や、板橋中央総合病院の建替え状況について質問がありました。


住民からは、マンションなどが建設されると地域に大きな影響が生じることから、事前に地域住民と話し合う機会を設けるよう、事業者を指導してほしいとの要望も出されました。


これに対し板橋区は、対象地は民有地であるため、開発情報があっても状況を知らせることはできないと回答。一方で、駅に近接する広大な敷地は、地域だけでなく区全体の発展にも関わる重要な土地と認識していると説明しました。


また、大規模な土地利用の転換によって人口が急増した場合、学校や鉄道、バス、道路などへの負荷が大きくなることも懸念しており、今後の動向を注視する方針を示しています。


土地利用が転換される場合には、地域の歴史・文化・自然を活かした活用や、地域住民への説明の機会を設けるよう、土地所有者や事業者に要望していくとしています。
志村坂上の街はどう変わる?



志村坂上駅周辺では、工場跡地などの大規模な土地の利用転換が、地域の将来を考えるうえで重要なテーマとなっています。



今回の懇談会では、区が具体的な開発計画を明らかにしたわけではなく、住民説明会の開催を確約したわけでもありません。
今後、跡地がどのように活用されるのか。地域の暮らしや街の魅力に関わるだけに、事業者からの発表や行政の動きに注目していきたいと思います。
おまけ 凸版印刷・板橋工場の歴史

凸版印刷(現・TOPPAN)は、1900年に東京・下谷で創業した印刷会社です。
志村に板橋工場が建設されたのは1938年(昭和13年)。印刷需要の拡大を見据えて整備された大規模工場で、約6万6,000平方メートルの敷地に最新の設備を備え、当時の印刷産業の発展を支えました。工場の建物がすべて完成したのは1940年です。

戦後も印刷技術の発展を支え、1951年には紙幣や株券などの偽造防止にもつながる証券用の多色細紋印刷技術を開発。板橋工場は、地域の産業の歴史を語るうえでも重要な存在でした。
また、凸版印刷をはじめとする大規模工場の進出は、志村周辺が農業中心の地域から工業地域へと変化していく流れにも関わっています。板橋区が「印刷・製本のまち」として発展する、その歴史を象徴する工場の一つでした。






