【散策記】鎌倉古道をめぐる(後編):下赤塚の賑わいから練馬のタワーマンションへ

前編では、荒川の「早瀬の渡し」から赤塚の崖線を越え、松月院の裏手を歩きました。後編は、子どもたちと一息ついた赤塚健康福祉センターそばの石造前から再出発です。

商店街に息づく歴史と戦争の記憶

ドミノ・ピザとウエルシアが交差する角には、立派な「鎌倉古道」の石像が鎮座しています。ここから先は赤塚一番通り商店街に続く道。足元が赤いレンガ敷きになり、どこか懐かしい雰囲気が漂います。

道すがら、民家の一角でメダカを飼育しているおじいさんに出会いました。

「昔、このあたりは竹藪があったんだよ」

そう教えてくれた言葉に、かつての険しい古道の面影を想像します。

さらに驚いたのは、戦争中のお話。この近くに爆弾が落ち、地面に大きな鉢のような穴が開いたのを見に行かれたといいます。終戦間際には成増飛行場の兵隊さんが避難してきたという生々しい記憶も伺うことができ、古道が単なる「古い道」ではなく、幾多の時代を繋いできた「生きた道」であることを実感しました。

鉄道と街道が交差する「交通の要所」

商店街を抜けると、東武東上線の踏切にぶつかります。下赤塚駅の周辺は驚くほど踏切が多いのですが、これはかつての古道や既存の道を活かして線路が敷かれたことが背景にあります。鉄道が開通する以前の往時の人流の激しさを今に伝えているのかもしれません。

踏切を越えればすぐに川越街道(国道254号)。地下鉄赤塚駅の入り口付近にも、旅人の安全を見守るように「鎌倉古道」の石像が立っていました。

消えた道筋と「区境」のミステリー

川越街道を渡り、「定食屋野うさぎ」さんの脇から再び古道へ。

しかし、ここからはゆりの木団地やむつみ団地といった巨大な団地群が広がります。高度経済成長期の再開発によって道筋は一度途切れてしまいますが、面白い発見がありました。

板橋区と練馬区の境界線が、かつての古道に沿って引かれているのです。

建物や公園を斜めに突っ切る区境。目に見える「道」は消えても、行政の境界としてその痕跡が刻まれていることに、古道の生命力の強さを感じました。

練馬の湧水と終着点

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光が丘児童館の向かい、斎藤精肉店のあたりから再び古道が姿を現します。

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ここから豊島園通りに向かってまっすぐ道が伸びており、通りとの合流地点にはまたしても立派な石像が。

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豊島園通りを進むと、かつての田柄川(現在は緑道)を渡ります。

このあたりは「田柄水道」に代表されるように湧水が豊かな土地。かつての旅人たちも、この清流で喉を潤したのでしょうか。

立派なケヤキ並木
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北豊島自動車学校や愛染院を通り過ぎ、ついに終点へ。

視界が開けると、そこには練馬春日町駅のタワーマンションがそびえ立っていました。

散策を終えて

最後に辿り着いたのは、複雑に道が入り混じる五差路。

今も昔も交通の要所であるこの場所で、かつての「いざ鎌倉」と駆けた武士の蹄の音と、現代の車の走行音が重なるような不思議な感覚を覚えました。

早瀬の渡しから練馬春日町まで。

子どもたちと一緒に歩いたこの道のりは、断片的な石碑や地形、そして地元の方々の記憶を繋ぎ合わせる、素敵な時間旅行となりました。


今回の散策ルート:後半のポイント

下赤塚商店街赤いレンガ道。赤塚一番通り商店街。
下赤塚駅踏切既存の古道を尊重したため、踏切が密集する珍しい風景。
区境の団地開発で道は消えたが、板橋区・練馬区の境に古道の痕跡が残る。
豊島園通り〜練馬春日町直線的なルート。田柄川緑道など湧水や愛染院があるエリア。

この記事を書いた人

なりチャン

なりますチャンネルは、成増をベースに東京の城北エリア(板橋・練馬)の地域情報を地元目線でリアルタイムにお届けしていきます✉「子どもたちが地域の方々と触れあい、地域をもっと好きになってほしい」という想いで2022年頃に始めました。月間55万PV(2026年1月)。