

旧中山道沿い、庚申塚から明治通り周辺を歩いていると、最近、素敵なお店や広場ができていることに気づきます。


趣のある日本家屋にオープンしたのは、「讃岐うどん まきちゃん」と「和菓子処 富田屋」。





歴史を感じさせる建物で、うどんや和菓子を楽しめる、街歩きの途中に立ち寄りたくなるお店です。


その隣には、新たな広場も整備されています。


広場には古井戸が残り、足元の道には不思議な模様が。よく見ると、瓦を埋め込んでつくられています。古い街並みの記憶を生かした、趣のある空間です。




そして、その隣に目を向けると、古い瓦屋根が印象的な重厚な建物が目に入ります。

建物には「農産種子生産卸 東京種苗株式会社」の文字。

実はこの一帯、かつて日本の農業を支えた「種子屋街道」と呼ばれる場所なのです。
江戸の農業を支えた「種子屋街道」


種子屋街道とは、巣鴨から滝野川、板橋方面へと続く旧中山道沿いに、種子を扱う店が集まっていた一帯のことです。

江戸時代、江戸の周辺では野菜づくりが盛んに行われていました。江戸の人口が増えるにつれて野菜の需要も高まり、近郊の農村は江戸の食を支える重要な生産地となっていきました。

この地域では、野菜の種子を生産・販売する商いも発達します。

中山道を行き交う人々が種子を買い求め、やがて種子を専門に扱う店が集まるようになりました。
明治時代には巣鴨から板橋区清水町までの約6キロに種子問屋や小売店が並び、大正時代中期には20店以上の問屋が軒を連ねたとされています。


近代になると、種子屋は国内外から良質な種子を仕入れ、全国に販売する卸売業へと発展。種子屋街道は、日本の農業を支える一大流通拠点となりました。
練馬大根ともつながる種子の歴史


この地域の種子屋街道を語るうえで、忘れてはならないのが、練馬大根などの江戸近郊の野菜です。
滝野川ゴボウや滝野川ニンジンは、地名を冠した特産野菜として知られていました。また、練馬大根の種子も、滝野川周辺で採種されていたとする研究があります。

練馬や赤塚といった地域で農業が営まれ、そこで育てられた野菜が江戸の食卓を支える。その一方で、種子を生産する人々や、それを各地へ届ける種子問屋が存在していました。


練馬や赤塚の農家が大根を台車に載せ、巣鴨方面へ売りに行ったという話も伝わります。
当時の農家にとって、種子選びは作物の出来を左右する大切な仕事だったはずです。

畑の土質や水はけ、肥料となる堆肥、日当たりや水分の状態。それぞれの畑の条件に合う種子を探し、よりよい野菜を育てようと工夫していたことでしょう。

種子屋街道は、単に種を売買する場所ではありません。農家と種子をつなぎ、地域の農業を支える場所でもあったのです。
東京種苗株式会社に受け継がれる歴史

広場の隣にある東京種苗株式会社にも、長い歴史があります。

そのルーツは、1844年(弘化元年)に初代・榎本留吉が巣鴨庚申塚で開業した「榎本留吉商店」です。

江戸時代から明治・大正時代にかけて発展した種子屋街道の歴史を受け継ぐ存在で、戦時中の企業統合を経て東京種苗株式会社となりました。

現在も残る榎本家の店舗兼住宅と新座敷は、2023年に豊島区指定有形文化財に指定されています。

目の前にある古い瓦屋根の建物も、単に昔ながらの建物というだけではありません。この地域で種子を扱い、農業を支えてきた人々の営みを思い起こさせてくれます。
明治通りの向こうには、日本農林社

そして、明治通りを挟んだ先にも、種子屋街道の歴史を伝える会社があります。

それが、株式会社日本農林社です。

日本農林社のルーツは、1852年(嘉永5年)に初代・鈴木政五郎が滝野川で創業した「丸政・鈴木政五郎商店」にあります。

当初は大根、ニンジン、ゴボウなどの種子を扱い、明治時代には全国各地の種子や西洋野菜の種子も取り扱うようになりました。

戦時中の企業統合を経て、戦後の1952年(昭和27年)に株式会社日本農林社として再発足。現在も野菜の品種改良や種子の生産・販売に取り組んでいます。

東京種苗と日本農林社。どちらも幕末にさかのぼる歴史を持ち、この地域が種子流通の拠点として栄えたことを今に伝えています。
新しい広場から、街の歴史を感じる


古井戸や瓦を埋め込んだ道、趣のある日本家屋。そして、今も残る種苗会社の建物。

一見すると、街の一角にできた新しい広場とお店ですが、その周辺には江戸時代から続く農業と商いの歴史が息づいています。

かつてこの道を行き交ったのは、種子を買い求める人々や、野菜を育てる農家、全国へ種子を届ける商人たちだったのでしょう。

練馬や赤塚の畑で育つ大根も、種子を選び、育て、売る人々の営みとつながっていました。


新しく整備された広場を訪れた際には、足元の瓦や古井戸だけでなく、その隣に残る建物にも目を向けてみてはいかがでしょうか。

この街が、かつて日本の農業を支えた種子屋街道の一角だったことを、感じられるかもしれません。






