【成増の昔】自分たちが住む成増って、かつてはどんな場所だったでしょうか。

成増の昔の写真を少しずつ集めていこうと思います。
※どうやって集めたらいいのか悩んでおりますので、良いアイデアがある方がおられましたら教えて頂けると助かります。
※基本的に出典が分かるものを利用していますが、もし著作権があったりするものがあったら対応しますので教えて頂けると助かります。

昭和30年代の東武東上線成増駅改札(出典:いき出版「板橋区の昭和」 )

昭和30年代の東武東上線成増駅改札(いき出版「板橋区の昭和」掲載写真)

なんとなく成増駅南口の改札をホーム側から撮影した写真のように見受けられます。

成増駅(昭和20年代)

かつては成増駅南口の改札はもう少し和光市よりにあったそうです。今はなき不二越さんの裏手あたりに改札があったそうです。

不二越さんの記事

成増駅南口(昭和46年、出典:板橋区公文書館)

成増駅南口(1975年、出典:板橋区公文書館)

旧成増駅南口(時期不明、出典:板橋区立公文書館)

成増駅南口(エキア開店前、出典:東武鉄道)

昭和50年の成増南口商店街。駅前には噴水があり(現在は派出所と公衆トイレ)、奥には純喫茶店「宮殿」や三井銀行の看板が見えます。

うわー、まさに私が子供の頃の風景です。喫茶店の「宮殿」、一度だけ父と叔父と入って、コーヒーを初めて飲みました。駅の出口のところには、いつもお面の露店が出ていましたね。ありがとうございます(涙)

宮殿は確か橋本さんがオーナーでしたね?

地下鉄成増駅(1986年)

昭和50年代の成増北口商店街

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昭和50年代の成増北口商店街の様子です。七夕の飾りつけが施されておりとても賑やかそうですね。
今の北口商店街はシャッターをおろしてしまったお店が多く、少し寂しい雰囲気ですがかつてはこんなにも活気があったのは驚きです。

モスバーガー

モスバーガー一号店(1972年6月、出典:モスバーガー)

成増駅(1979年、出典:成増駅今昔)

成増駅荷下ろし用のホーム(1970年、出典:成増駅今昔)

今はもうないですが貨物の荷下ろしをするホームがありますね。成増駅が乗客を乗せる駅になったのが大正のはじめだそうですが、その前は成増は貨物駅だったそうです。

写真をよく見ると不二越さんの建物が見えますね。かつては、不二越さんの前あたりに改札があったそうですので、この写真が撮影された時点で改札は移設されていると考えられそうです。

赤塚の風景

赤塚氷川神社のけやき

農業まつりと東京大仏

かつては農業まつりは松月院横から赤塚ため池公園に続く道でおこなわれていたのですね。

成増飛行場と光が丘

成増飛行場(昭和19年、出典:練馬区)

成増飛行場(昭和18年 出典:練馬区)

ケーシー線(昭和30年代頃、出典:練馬区)

光が丘公園(時期不明、出典:練馬区)

徳丸田んぼと三園

昭和31年「徳丸田んぼ」航空写真@郷土資料館

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板橋区の郷土資料館に展示してあった徳丸田んぼの航空写真です。昭和31年、1956年なので戦後11年ですね。高島平団地はなく、一面が徳丸田んぼです。

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こちらが成増ですね。まだまだ田んぼが多いですね。

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北口は小中学校を過ぎるとほとんど畑ですね。

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成増5丁目や三園はほぼ田んぼです。田んぼを挟んで川の反対側には白子宿の名残がありますね。

三園の様子(1940,1950,1960、出典

三園の田園風景が見て取れます。白子川が整備される前の写真なので都県境もはっきりと分かる貴重な写真ですね。

成増団地が建設された当時の三園の田園風景。いまはすっかり住宅街ですが、かつては田んぼだったのですね。

成増団地の建設(昭和30年代、出典:板橋区)

スキップ村商店街

1990年スキップ村ダイエー前

ダイエー前の風景です。比較的今と近いですが、それでも建物は低いですし街行く人も時代を感じます。

ダイエーがあった当時の川越街道を望む写真ですね。

昭和50年代の成増スキップ村ですかね。まだビルは少なく、個人商店が多い印象ですね。左手に「ストア」と書かれた建物は成増名店街で、かつてはモスバーガーの試験店が地下一階にできたとか。現在はMEGAドン・キホーテ成増店ですね。「クレジット」の看板は丸井のクレジットですかね、現在もエポスカードとして事業は残っていますよね。
右側の看板を見ていくと「柳下酒店」がありますね。

駅前から見ても三井の看板が見て取れます。

現在のりそな銀行ではないかと思われます。今は大きなマンションの1階なので、だいぶ雰囲気が違いますね。

不二越さんのTwitterを拝見していたら、こんな記事がありました。

成増駅南口ロータリー

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成増駅南口ロータリーです。駅前の交番や公衆トイレの場所には噴水があります。また、スキップ村の建物が全体的に背が低いです。

北口ロータリー

北口ロータリーは二段階に分けて整備されたそうで、第1段階として現在のアクト1やロータリーができました。

写真右側に巣鴨信用金庫の大きな看板が見えますが、そこが現在のアクト1ですね。巣鴨信用金庫は現在もアクト1のロータリーに面した場所に入っていますが、もともとは地権者ということみたいですね。

その後、ロータリーの向こう側に見えるSEIYUがアリエスとなりました。ちなみに、当時は高度経済成長期でモータリゼーションのさなかであったため、ロータリーにはタクシースペースが設けられました。実際、写真でもタクシーがたくさん止まっていますね。

しかしながら、現在ではタクシーの数もまばらになってきたりしていて、駅前の一等地でありながら有効活用できていないというのが実態かもしれません。都市開発は10,20年先を読んで行うものですが、経済想定がずれることもあるという事が成増南口駅前ロータリーから得られる教訓のようです。

溜池公園

昭和30年代は自然満載な感じです。

昭和40年代になると池の周りが少し整備されてきています。

こちらは1975年に郷土資料館が建設された当時みたいです。池は今と同じような雰囲気ですが、周辺の建物は今のようにコンクリートというわけでは無さそうですね。

成増露頭

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成増のため池公園の近くにある崖です。今はマンションがあるので露頭を見ることはできませんがかつては貴重な地質調査の場所だったそうです。

高島平

練馬区と板橋区

成増駅南口

成増駅南口ロータリーからスキップ村を撮影した写真です。丸井のマークがある場所が今度ドン・キホーテができる旧ダイエー跡地です。電話ボックスは今も同じ場所にありますね。

参考にさせて頂いたリンク

光が丘公園の歴史に関するよくまとまった記事です。

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