2026年2月13日、板橋区赤塚の諏訪神社。


冷え込む夜の空気をついて、国の重要無形民俗文化財「板橋の田遊び」が執り行われました。

11日の徳丸北野神社に続き、この地の農耕の記憶を呼び覚ます予祝(よしゅく)の儀式を、現地で感じた熱気とともにレポートします。

赤塚ならではの見どころ:躍動する予祝の舞台


天狗さまが登場すると会場はいよいよ演目が始まるのかと沸き立ちました。


- 神輿渡御(みこしとぎょ) 儀式は、御魂(みたま)の移った神輿を担いで入場するところから幕を開けます。この神輿の動きこそが、神々を田遊びの舞台へと迎え入れる合図となります。

- 駒 最も会場が沸いたのが、子供が乗る駒です。これは稲の苗が健やかに伸びることと、地域の子供たちの成長、そして子孫繁栄を重ね合わせた、実に微笑ましくも力強い光景でした。


- 天狗と獅子の演舞 天狗が登場し、力強く「地鎮の舞」を披露します。さらに獅子が舞い踊る姿は華やかです。農作業の所作の中に、こうした芸能的要素が色濃く混じり合うのが赤塚の魅力です。


- お篝(おかがり)の迫力と幻想境内に積み上げられた巨大な竹の束に火が灯される「どんど焼き」。水と油を含んだ若い竹が「バンっ!」と破裂する音は圧巻の迫力。火の粉が夜空に舞い散る幻想的な光景は、旧年の災厄を焼き払う浄化のエネルギーに満ちていました。
分断された参道が語る「四葉」の変遷

今回の見学で最も考えさせられたのは、神輿が一度境内を出て、道路を渡った「離れ地」へ移動する場面です。


実はこの場所、もともとは立派な杉並木が続く表参道で繋がった神社境内の一部でした。しかし、新大宮バイパス(国道17号)の開通に伴う四葉一帯の区画整理により、参道が車道によって分断されてしまったのです。

今、入り口に一本だけ寂しく立つ杉の大木は、かつての荘厳な参道の記憶を留める唯一の生き証人。都市開発によって景色は一変しましたが、神事のルートだけは頑なに守り続けられています。
「徳丸田んぼ」からの帰り道 —— 生活に根ざした1000年



地元の方にお話を伺うと、この田遊びが1000年もの間、「大稲本」「小稲本」「鍬取り」といった役割分担を守り、口伝(くでん)で継承されてきた重みが伝わってきます。

「昔はみんな、坂の下の徳丸田んぼで農作業をして、日が暮れるとこの坂を上って四葉の家へ帰ったんだよ。街灯もない時代、鬱蒼とした道を歩くのは本当に怖くてね……」

光の乏しい赤塚の境内で繰り広げられた田遊びは、かつての農民たちが抱いた「闇への畏怖」と「収穫への切実な祈り」を現代に再現しているようでした。
結びに代えて

17号バイパスを走る車の音を背に、古の言霊が響く不思議な空間。そこには、都市化が進んでも決して失われない、土とともに生きてきた人々の誇りが刻まれていました。四葉や徳丸田んぼの歴史を知ることで、目の前の儀式がより一層深く、歴史深いものに感じられた一夜でした。


