
板橋区坂下1丁目、高島通りから少し入った場所に位置する「ローソン 板橋坂下一丁目店」が、2026年2月27日(金)をもってその歴史に幕を閉じます。

広い駐車場を備え、ドライバーや近隣住民に親しまれてきた店舗の閉店は、一つの時代の区切りを感じさせます。


いま、この店舗の周囲を見渡すと、多くの建設クレーンが空に伸び、高層建物の建設が急ピッチで進んでいます。かつて「工場の街」だった志村坂下は、今まさに大きな変貌を遂げようとしています。

湧水と氾濫、そして「水との戦い」

志村城がそびえる高台の裾野に位置する「坂下」は、かつては豊かな湧水に恵まれ、網の目のように細かな河川が流れる土地でした。

しかし、その豊かさは同時に過酷な「水との戦い」の歴史でもありました。

低地であるこのエリアは、ひとたび荒川が荒れれば浸水被害に見舞われる氾濫地帯。先人たちは知恵を絞り、懸命に治水に励んできました。現在、その苦労が実を結び、以前のような氾濫被害はほとんど見られなくなりましたが、この地の歴史の根底には常に水との関わりがありました。
「火薬」と「化学」が支えた工業化の時代
志村坂下が工業地帯として発展した背景には、皮肉にもその「低地と水」という条件がありました。
- 軍需産業の拠点: 板橋区加賀にあった陸軍の「火薬製造所」の流れを汲み、中台(現在のサンシティ)には広大な旭化成の研究所や火薬庫が置かれました。

- 関東大震災後の移転: 震災で被災した下町の工場が、広大な土地を求めてこの地へ集結。DIC(旧:大日本インキ化学工業)をはじめとしたの化学メーカーの拠点も点在するようになりました。
転換点となった「第一化成工業」の事故


しかし、平和な住宅地への移行には悲しいきっかけもありました。1990年に発生した第一化成工業の爆発・火災事故です。 この事故は「工住混在」の危うさを社会に突きつけ、以降、化学工場の移転と跡地の宅地化が加速することとなりました。
工場跡地は「空」へ。加速する宅地化


近年の変化は目覚ましく、芝浦工大付属中高の跡地は巨大なマンションへと姿を変え、新河岸川近くの工場跡地にも次々と新しい住宅が建ち並んでいます。


いまでは化学工場が残る地域は坂下の新河岸川付近の東坂下周辺になっています。


ローソン板橋坂下一丁目店の閉店は、こうした「街のアップデート」の激流の中での出来事かもしれません。

かつて工場を照らした街灯が、今は高層マンションの窓明かりへと変わった志村坂下。2026年2月、慣れ親しんだ青い看板が消えるその日まで、最後にもう一度、街の歴史を噛み締めながら訪れてみてはいかがでしょうか。
村上隆と志村坂下

現代アートにおいて日本を代表する村上隆氏にとっての志村坂下は、単なる地元ではなく、彼のハングリー精神の原点といえる場所です。1960年代当時、低地である志村坂下付近は水害が多く、台風のたびに浸水する劣悪な住環境でした。「汚物が浮く中を歩いた」という強烈な体験は、綺麗事ではない「生きることの泥臭さ」を彼に刻み込んだといいます。

