【成増スコープ】1972年に成増で産声を上げた「モスバーガー」の半世紀に及ぶ歴史を追ってみました。

今回は創業の地である「成増」という地域との連携に焦点を当て、モスバーガーと成増の半世紀にわたる歴史を振り返ってみたいと思います。歴史を知ると、もしかするとモスバーガーが1.2倍くらいおいしく感じられるかもしれません。

※記事執筆にあたり株式会社モス・フード・サービスさまからお写真等を提供いただきありがとうございました。

MOSバーガーとは

モスバーガーは、1972年に成増の地で創業した日本発祥のハンバーガーチェーンです。

株式会社モスフードサービスが展開しており、「MOS」には「Mountain(山のように気高く堂々と)」「Ocean(海のように深く広い心で)」「Sun(太陽のように燃え尽きることのない情熱を持って)」という意味が込められています。

現在、日本国内に約1,300店舗、海外6つの国・地域(台湾、タイ、香港、中国、シンガポール、オーストラリア、インドネシア、韓国、フィリピン)に約430店舗を展開し、アジアオンリーワン企業を目指しています。

モスバーガーは「テリヤキバーガー(1973年)」や「ライスバーガー(1987年)」など、日本の食文化や日本人の繊細な味覚を意識した独自のメニューを業界に先駆けて開発するとともに、新鮮な野菜をふんだんに使ったフレッシュさも売りです。

そして、何より創業した成増を含め、地域社会との繋がりを大切にし、地域貢献活動にも積極的に取り組んでいます。

モスバーガーの創業者「櫻田慧」さん

岩手の10人兄弟の末っ子

櫻田慧(さくらだ さとし)は、日本の実業家であり、ハンバーガーチェーン「モスバーガー」を運営する株式会社モスフードサービスの創業者です。

1937年1月19日、岩手県大船渡市の高級料亭に10人兄弟の末っ子として生まれ、厳しく育てられました。幼い頃に母から「たらいの水(自分の方に水をかいても水は逃げていってしまう。自分と反対側に水をかくとたらいの側面を回って自分の方に水が回ってくる。利己ではなく利他の精神の重要性を説く話)」の逸話を通して、人に尽くす大切さを教えられました。

学生時代と社会人初期の挫折

最初の大学受験では医学部を目指すも失敗。翌年合格したものの、学費の都合で断念し、経済学部へ進みました。在学中は山歩きを中心とした体育会系サークル「ワンダーフォーゲル部」で活動しました。この時の友人や恩師が後のモスバーガーの発展でも大きな支援をしてくれました。

1960年に日本大学経済学部を卒業後、日興証券に入社。空前の株式ブームの中で営業成績を上げ、入社3年目にはアメリカ・ロサンゼルス支店に抜擢されます。しかし、証券不況の煽りを受けて帰国せざるを得なくなります。

その後、証券会社の同僚を引き連れて皮革問屋へ営業部長としてヘッドハンティングされて転職しますが、価値観を共有できない組織に辛さ感じました。

櫻田さんは、「日興証券という大企業にも、皮革問屋という中小企業にも自分は合わない」と感じ、理想の会社は自分たちで作るしかないと、株式会社モスを立ち上げました。

モスバーガー創業へ

株式会社モスは、皮革会社での経験から、メーカーの倉庫に眠っている不良在庫を格安で買い付け、販売するというものでした。しかし、その事業もあまりうまくはいきませんでした。

そこで、櫻田さんはかつて日興証券時代にロスアンゼルスに駐在していた時に味わった「トミーズ」というハンバーガーショップに着想を得て、日本でハンバーガーを売り出そうと考えました。

日興証券の同僚3人とともに、トミーズのハンバーガーを日本人向けにアレンジした「モスバーガー」の事業化を構想。ノウハウを学ぶため、渡米しトミーズの経営者に直談判の末、トミーズで無償で働かせてもらうことになりました。

トミーズでの経験から、「本当においしいものを提供すれば、一等地でなくともお客さまは来てくれる」という信念を持つようになりました。

モスバーガーと成増

実験店の失敗

1972年3月12日、東武東上線成増駅前の成増商店街(現なりますスキップ村商店街)にあった成増名店街(現MEGAドン・キホーテ成増)の地下1階入り口の老舗小路実演コーナー(元ジューススタンド)に、モスバーガーの最初の店舗となる実験店がオープンしました。これがモスバーガーの歴史の始まりです。

現在でも3月12日は現在「モスの日」として制定され、創業の原点を思い起こし、お客さまや地域の方々に感謝する日とされています。

1972年3月12日のオープン時は、グラントハイツ等に住む米軍関係者のアメリカ人の女子高生にチラシを配ってもらったそうです。

ただし、実験店はファーストフードのような業態はお客様が気軽にフラットは入れることが重要である一方で、成増名店街の一階は主婦の方々が多いこともあり売上は思うように伸びなかったそうです。

モスバーガー1号店「成増店」のオープン

実験店の3ヶ月後、1972年6月には、現在の「モスバーガー成増店」と同じ場所に、八百屋「八百敏」の倉庫を借り受けて、わずか2.8坪の広さでモスバーガー1号店「成増店」が正式にオープンしました。

八百屋「八百敏」はすずらん通りに大きなお店を構えており、現在モスバーガー成増店がある場所は倉庫だったそうです。当時はまだ成増駅の改札が今の場所に移設された直後で、すずらん通りの方が活気があったのかもしれませんね。

MとMのプライドの戦い⁉

モスバーガーは創業の翌年1973年には日本人の味覚に合わせた「テリヤキバーガー」を開発。これがモスバーガーの代名詞となり、他社との差別化に成功するとともに、 フランチャイズ(FC)展開を積極的に進め、1978年にはモスバーガーチェーンは88店舗に及び、直営店も6店に増えていました。

しかし、この年にモスバーガー1号店の斜め向かいの空き地にマクドナルド成増店がオープンしました。当時のマクドナルドは、銀座に1号店のオープンを皮切りに、新宿や渋谷などの一等地に出店していたので、東京のはずれの成増に出店することは異例でした。モスバーガーとしては、創業の聖地に航空艦隊が攻め入ってきたかのような衝撃があったそうです。

オープン前は創業以来の危機と言われて戦々恐々としてたモスバーガーの経営陣ですが、ふたを開けてみるとマクドナルドのオープニングセールの波を道を挟んで向かいのモスバーガー成増店も受け、過去最高の売り上げとなったそうです。

モスバーガーのスタッフが、マクドナルドに視察に行くと、マクドナルドのポテトやコーラを片手に、モスバーガーやてりやきバーガーを食べるお客さんが多くいたそうです。

50周年イベント「なりもす駅」

2022年にモスバーガーが創業50周年を迎えた際には、発祥の地である成増にちなんで、期間限定で「モスバーガー成増店」の愛称を「モスバーガー なりもす店」とし、レシートにもその表示をするなどの記念イベントが行われました。

東武鉄道の成増駅の駅名看板も期間限定で「なりもす駅」となるなど、地域を巻き込んだ取り組みが展開されました。

なりもす駅の掲示ですが、キャンペーン期間終了後は板橋区立郷土資料館(上り)、成増店の階段上(下り)に掲示されていました。

最後に

今回は創業の地である「成増」という地域との連携に焦点を当ててモスバーガーと成増の半世紀にわたる歴史を振り返ってみました。歴史を知ると、もしかするとモスバーガーが1.2倍くらいおいしく感じられるかもしれません。

よかったら、モスバーガー成増店に足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

※和光や下赤塚にも店舗がありますので、成増まで行かなくても、お近くのお店でもおいしいモスバーガーた食べられるかもしれませんね。

hdsrhdr

お役立ちリンク

この記事を書いた人