「高島平」という地名を聞いて、マンモス団地を思い浮かべる人は多いでしょう。しかし、その名の由来が、一人の武士の名字にあることをご存知でしょうか?

没後160年を迎える2026年2月。いま、板橋区立郷土資料館で開催されている特別展を通じて、日本の夜明けを創った男・高島秋帆(たかしま しゅうはん)の足跡を辿ります。

運命の「徳丸ヶ原演習」:日本の軍事近代化はここから始まった

1841年、まだ刀が武士の魂だった時代。長崎の町年寄だった秋帆は、現在の板橋区高島平付近にあった徳丸ヶ原で、日本初の本格的な西洋式砲術演習を行いました。

大砲やゲベール銃を使い、オランダ式の号令に合わせて一糸乱れぬ動きを見せる兵たち。この「組織的な近代軍隊」の姿は、幕府に強烈なインパクトを与え、日本の防衛意識を根底から覆しました。
栄光からの転落:11年にわたる「幽閉生活」の真実

演習の大成功で時代の寵児となった秋帆を待っていたのは、あまりにも残酷な運命でした。
保守派の重臣・鳥居耀蔵による捏造された罪(密貿易の疑いなど)により、1842年に逮捕。伝馬町の牢屋敷を経て、武蔵国岡部藩(現在の埼玉県深谷市)での長きにわたる幽閉生活が始まります。
幽閉中の知られざる姿

今回の展示で特に興味深いのが、幽閉中の秋帆を描いた巻物です。 「幽閉」という言葉から想像する過酷な牢獄生活とは異なり、実際にはある程度の自由が許されていた様子が伺えます。秋帆はこの静かな時間さえも無駄にせず、兵学の研究を続け、後に幕府の政策に影響を与える『嘉永上書』などを執筆しました。
「不遇の時こそ、牙を研ぐ」。このたゆまぬ研鑽があったからこそ、後の劇的な復活が可能となったのです。
黒船来航と「逆転の赦免」:再び歴史の表舞台へ

1853年、ペリー率いる黒船が来航し、日本中がパニックに陥ります。この国難に際し、幕府が泣きついたのが、かつて葬り去ろうとした天才・秋帆でした。

赦免された彼は、すぐさま軍事顧問として復帰。幕府の軍事訓練施設「講武所」の砲術師範となり、近代戦術を次世代へと繋いでいきました。
歴史は地名に刻まれる:「高島平」誕生

演習から100年以上経った1969年。大規模な団地造成計画の際、この地を「近代軍事学の聖地」へと変えた彼の功績を称え、徳丸ヶ原は「高島平」と名付けられました。一個人の名字が広大な地域の地名になるのは、極めて異例のことです。

【今だけ!】没後160年記念展を開催中


板橋区立郷土資料館では、現在このドラマチックな生涯を振り返る特別展が開催されています。
- タイトル: 没後160年記念展「高島秋帆~高島平のはじまり~」
- 会期: 2026年1月24日(土)~ 3月15日(日)
- 場所: 板橋区立郷土資料館(入館無料)


秋帆ゆかりの寺院である「松月院」も近くにあります。展示を見た後、かつて彼が本陣を置いた場所を歩けば、幕末の志士たちが駆け抜けた風を感じられるかもしれません。

おまけ 溜池公園の早春








