【防空壕】埋もれた記憶をどう守るか ——滝野川小学校で見つかった「戦争の傷跡」を巡って

2025年2月、北区立滝野川小学校の正門脇で、ある「記憶」が掘り起こされました。老朽化した倉庫を解体した際、その奥から姿を現したのは、戦時中の防空壕の入り口でした。

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突如現れた歴史の断片

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縦横約2.5メートル。赤レンガで丁寧に囲われたその入り口は、今も硬く閉ざされています。土をくりぬくように作られたその空間は、1944年11月、当時の「滝野川警防団」が区長に宛てた許可願いや、学校の校内日誌に残る「地下防空壕ヲ整備」という記録と重なります。

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そこには、空襲の恐怖に怯えながらも、子供たちや地域の人々を守ろうとした人々の切迫した姿がありました。幸いにもこの地域は、1945年の城北大空襲による大規模な焼失を免れましたが、この防空壕は、その平穏が「奇跡的な均衡」の上に成り立っていたことを無言で物語っています。

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「残す」ことの難しさと葛藤

しかし、この歴史的な遺構を「保存」する道は、驚くほど険しいのが現実です。 所管する北区は、「区内に文化財指定された防空壕はなく、予算を付けて整備する予定はない」と説明しています。国有地であるという土地の制約、整備のためのコスト、そして何より「戦争遺構」という、維持・管理に多大な責任を伴う負の遺産への向き合い方。自治体としてのジレンマも理解できます。

私たちは、戦後80年を経て、光が丘(旧成増飛行場)や朝霞(旧キャンプドレイク)といったかつての軍事拠点が、急速にその痕跡を消していく光景を目の当たりにしてきました。便利な都市生活の裏側で、過去の記憶が物理的に「更地」になっていくスピードは、あまりに速いのです。

「負の歴史」を未来の力へ ——隣接する板橋区の試みから

一方で、隣接する板橋区では、旧理化学研究所板橋分所の建造物を活用し、「産業ミュージアム(仮称)」として整備する計画が進んでいます。かつての研究施設を、「産業の発祥の地」として未来への資産に変えようとするこの動きは、一つの希望です。

戦争遺構をただの「保存すべき古い穴」として捉えるのではなく、そこから「何が起きたか」「二度と繰り返さないためにどうすべきか」を学び、対話を生む場へと昇華させることはできないでしょうか。

結びにかえて

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戦争を忘れないこと。それは教科書を読むことだけではありません。足元の土の中に埋もれた遺構を前に、立ち止まって思いを馳せることもまた、私たちにできる「戦争との向き合い方」ではないでしょうか。

防空壕をただ壊して埋めるのではなく、地域の人々がその存在を知り、記憶を継承できる形 —— 例えば、簡易的な解説板の設置や、学校内での歴史学習への活用など、多額の予算をかけずともできる工夫はあるはずです。

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「戦後」という時間は、これからも流れ続けます。消えゆく記憶のバトンを、私たちはどのように次世代へ手渡していくのか。滝野川小学校で見つかったこの小さな煉瓦の入り口が、私たちに重い問いを投げかけています。

参考にさせて頂いたサイト

この記事を書いた人

なりチャン

なりますチャンネルは、成増をベースに東京の城北エリア(板橋・練馬)の地域情報を地元目線でリアルタイムにお届けしていきます✉「子どもたちが地域の方々と触れあい、地域をもっと好きになってほしい」という想いで2022年頃に始めました。月間55万PV(2026年1月)。