「板橋の田園調布」ときわ台に刻まれた文教の記憶――筑波大学宿舎跡地が紡ぐ過去と未来

東京都板橋区の「ときわ台(常盤台)」。昭和初期に東武鉄道が「健康住宅地」として開発し、美しい街並みから“板橋の田園調布”とも称されるこの街には、日本の高等教育の歴史を静かに支え続けてきた場所があります。

それが、常盤台4丁目に位置する「筑波大学常盤台職員宿舎」の跡地です。

明治から昭和、そして令和へと至る、ときわ台と筑波大学を巡る歴史の変遷と、街の未来の姿を紐解きます。

始まりは「東京教育大学」の職員宿舎

筑波大学の歴史を遡ると、1872年(明治5年)に設立された日本初の官立「師範学校」に行き着きます。

同校はその後、東京高等師範学校、東京文理科大学などを経て、1949年(昭和24年)に「東京教育大学」へと発展しました。

文京区大塚などにキャンパスを構えていた同大の教職員の生活拠点として、昭和の時代に板橋区常盤台の一角に建設されたのが、始まりとなる「東京教育大学職員宿舎」です。

当時から先進的な住宅地として知られたときわ台の落ち着いた環境は、日本の教育界を担う多くの学者や教員たちに愛され、地域に知性豊かな文教の薫りを添えていました。

筑波への大移転と、受け継がれた名

1960年代、政府は東京の過密解消と科学技術の振興を目指し、茨城県に「筑波研究学園都市」を建設する国家プロジェクトを始動させます。これに伴い、東京教育大学は発展的に解消・改組されることとなり、1973年(昭和48年)に「筑波大学」が開学しました。

主要なキャンパスや機能は茨城県つくば市へと移転しましたが、板橋区の宿舎はそのまま筑波大学へと引き継がれ、「筑波大学常盤台職員宿舎」と名称を変えて存続することになります。東京の拠点を離れた後も、この地は筑波大学の教職員が暮らす場所として、半世紀以上にわたり大学の歩みを支え続けました。

老朽化による閉鎖と、次世代へのバトンタッチ

時代の潮流とともに宿舎は老朽化が進み、やがてその役目を終えて閉鎖されました。長らく静まり返っていた約8,358平方メートルに及ぶ広大な跡地ですが、2025年、筑波大学が実施した公募型プロポーザルにより、三井不動産レジデンシャルが優先交渉権者に選定されたことで、新たな歴史の1ページが動き出しました。

2026年現在、現地では既存建物の解体工事が進められており、2027年初頭には更地となる予定です。ここに、70年間の定期借地権を活用した「病院併設型の次世代育成型マンション」などが整備される計画となっています。

歴史の記憶を未来の街づくりへ

かつて日本の教育を支えた頭脳が集った筑波大学の宿舎跡地は、医療と住まいが融合した、これからの地域社会を支える新たなランドマークへと生まれ変わろうとしています。姿を変えながらも、街の発展に寄与し続けるこの土地は、ときわ台という街が持つ深い歴史のレイヤー(層)を、私たちに今も教えてくれています。

この記事を書いた人

なりチャン

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