【赤塚】駄菓子屋「いさみや」、旧道沿いの「丸由酒店」、そして歴史を物語る「二塚供養塔」を巡る散歩道

この日は子どものおやつを買いに、赤塚の「いさみや」さんへ向かいました。

赤塚の子どもたちの社交場「いさみや」

お店の方によると、創業は60年ほど前。もともとは街の雑貨屋さんで、食品から日用品まで何でも揃うお店だったそうです。店内には今も当時の面影を残す「明治パン」や「東武パン」の看板が掲げられています。

30年ほど前から駄菓子屋さんとなり、今ではすっかり地域の子どもたちの憩いの場に。店内のちょっとしたスペースは子どもたちが集まる小さな社交場になっており、懐かしいゲーム機も設置されています。

最近は駄菓子の値上げが相次ぎ、かつてのように100円玉を片手にたくさんの駄菓子を購入できた時代は過ぎ去りつつあります。

今や「うまい棒」も17円。値札にも「◯◯円に値上がりしました」の文字が並び、物価高の波が子どもたちの世界にも押し寄せていることを実感します。

ちなみに、「いさみや」という屋号は電話番号の語呂合わせ(1338=いさみや)から来ているのだと、お店の方に教えていただきました。

人情味あふれる「丸由酒店」

「いさみや」さんの裏手にある「丸由酒店」さんへ立ち寄り、お酒を少し購入。

お会計の際、レジ脇に見慣れない不思議な実を発見。「これは何ですか?」とお店の方にお尋ねしたところ、パッションフルーツとのこと!

なんと1つお裾分けしていただき、子どもには飴まで持たせてくれました。心温まるお心遣いに感謝です。

面影を残す旧道と「二塚供養塔」

お店を出ると、目の前を走るのはかつての旧道。昔は八百屋さんやラーメン屋さんなど、多くのお店が軒を連ねていたそうですが、現在も営業を続けている「いさみや」さんや「丸由」さん、電気屋さんなど、当時の面影を伝えるお店が残っています。

少し歩いてローソンの隣へ向かうと、ひっそりと佇む「二塚供養塔」があります。

このあたりには、室町時代の赤塚の歴史を感じさせる石造物や遺跡が残されています。

板橋区の資料によると、赤塚の松月院境内からは、1400~1500年ごろにつくられた五輪塔や宝篋印塔、板碑などの中世の供養塔が出土しています。二塚についても、室町時代の戦乱に関連して、亡くなった人や馬を供養するために建てられたと伝えられています。

また、この地域にはかつて赤塚城があり、千葉自胤が居城したと伝えられています。松月院も千葉自胤が中興したとされ、赤塚には中世の歴史を伝える場所が今も残っています。

「赤塚」という地名の由来についても諸説ありますが、こうした古い地名や石造物をたどっていくと、この土地が長い歴史の上に成り立っていることを感じます。かつては、現在残る塚とは別にもう一つ塚があったとも伝えられています。

昭和の面影を残す旧道沿いの商店と、そのすぐ近くにひっそりと残る中世以来の歴史。赤塚を歩いていると、普段何気なく通り過ぎている街角にも、長い時間の積み重なりがあることに気づかされます。

懐かしい雰囲気と街の歴史に触れに、足を運んでみてはいかがでしょうか。

この記事を書いた人

なりチャン

なりますチャンネルは、成増をベースに東京の城北エリア(板橋・練馬)の地域情報を地元目線でリアルタイムにお届けしていきます✉「子どもたちが地域の方々と触れあい、地域をもっと好きになってほしい」という想いで2022年頃に始めました。月間55万PV(2026年1月)。