昨年の集中豪雨で70軒以上の床上浸水が発生した「前谷津川」の暗渠を巡ってみました。

2025年6月に昨年(2024年7月31日)の集中豪雨で70軒以上の床上浸水が発生した「前谷津川」の暗渠を子供と一緒に巡ってみました。
暗渠は日陰の緑地になっていて、のんびりお散歩できるので、暑い日のお散歩などにお出かけしてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、万一の備えに向けたヒントが見つかるかもしれません。

前谷津川

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「前谷津川(まえやつがわ)」は、東京都板橋区を流れる荒川水系の河川です。かつては武蔵野台地の谷筋を蛇行して流れ、江戸時代から昭和初期にかけては、武蔵野台地の湧水を水源とする清流として、地域の人々の生活と深く結びついていました。現在では、周辺の宅地化に伴い、全区間が暗渠(あんきょ)化されており、地上からはその姿を見ることはできません。

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かつての流路は、多くが「前谷津川緑道」として整備され、地域住民の憩いの場となっています。上流部には「しのがやと公園」、下流には「水車公園」など、前谷津川にちなんだ公園が整備されています。

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名称前谷津川
流路全長約4.8km
水源東京都板橋区赤塚新町二丁目付近の湧水など
流路赤塚新町2丁目(東武東上線下赤塚駅の北西)付近から北に向かって流れ、赤塚、徳丸、四葉、西台、高島平といった板橋区内を通り、新河岸川に合流していました。水源から終点まで板橋区内のみを流れる小河川でした。
暗渠化周辺の宅地化や下水道整備の進展に伴い、昭和50年代から昭和59年(1984年)頃までには、全区間が暗渠化され、水路は地下に埋設されました。

2024年の水災

内水氾濫

2024年7月頃に徳丸の前谷津川の流路において大規模な浸水が発生しました。

前谷津川は、名前の通り「谷」になっているため、四葉の斜面と東武練馬の斜面の両方から水が前谷津川の暗渠に水が流れ来るので、一帯の水が一気に流れ込んでしまいます。加えて、谷には畑などもあるため土砂が詰まりやすく排水がうまく機能せず、結果として80軒近くで床上浸水が発生しました。

外水氾濫

※江戸東京博物館のHPから引用させて頂きました。

こうした内水氾濫に加えて、外水氾濫のリスクも抱えています。

前谷津川は新河岸川(旧荒川)に合流するため、荒川水系全体の治水状況や、東京湾からの高潮の影響も受けます。大正6年(1917年)の台風に伴う高潮では、前谷津川が流れる板橋区周辺でも甚大な被害が発生したという記録もあります。

徳丸地域については、防災パンフレットも作成されていますので、よかったらこちら(PDF)をご参照ください。
また、板橋区のHPに水災に関する過去の情報が掲示されておりますので、ご参考まで該当箇所を掲示させて頂きます(赤塚、成増、三園は暗渠付近を中心に水災が発生する頻度が高まっている印象です)。

前谷津川の暗渠巡り

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水車公園は、板橋区四葉にある、その名の通り水車がある公園です。園内には水田もあり、田植えから稲刈りまでの稲の育成状況や農業の風景を観察できます。また、隣接する日本庭園では四季折々の風景を楽しめるほか、茶室「徳水亭」でお茶を楽しむこともできます(要予約・有料)。

水車公園には前谷津川の看板が立っており、今回はここから暗渠を辿って赤塚新町2丁目の源流まで散歩してみようと思います。

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学生自分には何度か自転車を取りに来たおぼえがあります。その節はご迷惑をおかけいたしました。

前谷津川緑道

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新大宮バイパスの下に前谷津川緑道があったりします。すぐ上のバイパスを荒川方向に行くとヤオコー四葉店の建設工事が行われています。

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前谷津川緑道の流路にはまだ都市化から取り残された空白のような土地が所々に見られます。

川は護岸工事をしてまっすぐにしたりしている関係もあり、旧流路とか、暗渠化した流路とか、正直土地の所有者が誰だかわからなかったり、分かっていても時代が経ち相続で所有者が多数になると、もはやだれの土地かわからない「誰のものでもない空白の土地」になってしまうことがあるそうです。

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緑道では犬を散歩されている方が多くみられます。

赤塚しのがやと公園

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細い緑道を抜けると開けた通りに出たのですが、そこには「しのがやと公園」がありました。

しのがやと公園は、子どもたちが遊べる遊具や、水遊びができる小川など、様々な魅力がある公園です。春には桜が咲き、お花見スポットとしても親しまれています。ちょっとした草原があるのでバッタやカマキリがいますので昆虫少年が網をもって虫取りに精を出す姿をよく見かけます。

「しのがやと」は「篠ケ谷戸」と漢字で書き、もともとこの地域を「篠ケ谷戸」という字名で呼ばれていました。
「篠ケ谷戸」の意味は、「篠竹が群生する谷地」を意味しており、前谷津川の源流部近くに位置し、かつてはこの川が流れる谷筋の豊かな自然、特に篠竹が繁茂する風景が広がっていたそうです。

篠ケ谷戸から東武東上線の線路方面へ

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断端と道幅が狭くなってきて、上流が近い感じがしてきます。

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マンションの枠を通って東武東上線の線路と交差しています。よく見ると、奥に東武東上線の車両が見えています。

東武東上線から川越街道(赤塚新町2丁目)

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線路を超えて向い側に暗渠が続いています。周辺の建物の地盤が少し高めに作られており、如何にも暗渠な感じがします。

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暗渠は住宅の隙間を抜けているので、見えないのですが、川越街道に交差したところの写真です。

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川越街道の向こう側には暗渠はなくなっているので、赤塚新町2丁目の川越街道沿いが前谷津川のスタートのようですね。

1947年の航空写真(国土地理院

前谷津川ですが、川越街道に分断されているようにも見えましたので、国土地理院の昔の航空写真を眺めてみました。

前谷津川の暗渠を川越街道を超えるように伸ばしていくと、その線上に畑の形が歪んでいるようにみえる場所があります。

水が流れていそうな場所を青い線でなぞっていくと、なんとなく赤い丸で囲ったあたりが水源かもしれないと思ったりしました。

グーグルマップと重ねてみると、こんな感じですかね。赤塚新町公園を超えて、ゆりの木児童館の裏手あたりまで続いている感じがします。ただ、前谷津川の立て看板には赤塚新町2丁目等が水源と記載されており、赤塚新町公園やゆりの木児童館は赤塚新町3丁目なので、なんとなく素人の寝言な気もしております(ただ、暗渠が川越街道で断絶された感じを見ると、もう少し川が続いている気がしてしまいました)。

その他(塹壕と百々向川)

ちょっと脱線してしまいますが、1947年の航空写真はとても面白く、少し西方に行くと百々向川の水源があったり、その傍に成増飛行場の塹壕(飛行機が爆撃を逃れるために作られたコンクリートの扇形上の構造物)があったりします。

昔の写真を見るとコンクリートジャングルになる前の土地の記憶のようなものを垣間見ることができて楽しいですね。

後日前谷津川の下流にも行ってみました

石川橋公園

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水車公園の下流には石川橋公園がありました。「石川橋」なので、かつては前谷津川にかかる橋があったのでしょう。周辺は宅地開発の波が押し寄せてきており、奥板橋の最奥地で大規模な建設工事が行われていました。

徳石公園

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さらに進むと徳石公園がありました。公園は川沿いの地形を活かして段々になているので鬼ごっことかで子供たちが走り回っているのをよく見かけます。石碑があり、その周辺でよく少年がswitchで遊んでいます。

徳丸通りのトンネル

イオン板橋から四葉方面に抜ける徳丸通りを前谷津川の暗渠が通っており、トンネルになっています(案の定、中には落書きがたくさんされています💦)。住所は徳丸5丁目から6丁目に変わります。

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徳丸通りを抜けると少し広い道になっており緑道を挟むように車線があり、開放的な通りになっています。前谷津川緑道ですね。犬をお散歩される方をよく見かけます。

不動通りと前谷津川緑道の交差点

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高島平1,2丁目から東武練馬に続く不動通りと前谷津川緑道との交差点です。不動通りはバス通りにもなっている広い通りです。もう少し東武練馬寄りに不動様がおり、道行く人を見守ってくれています。

西台から高島平へ続く前谷津川緑道

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高島平1丁目から2丁目の団地方面に前谷津川緑道は入っていきます。ここは桜並木になっており春になると多くの花見客でにぎわいます。

団地を抜けて三田線をくぐり荒川方面へ

今回は写真取れてませんので、地図だけ掲載させて頂きます。折を見て子供と一緒に自転車で行ってこようと思います。

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ここで団地が終わり、暗渠は高島平通りを渡ります。

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前谷津川は三田線の高架の下をくぐり、高島平熱帯植物館板橋清掃工場、こうま幼稚園を横目に進み、その先で新河岸川に流れ込んでいます。

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